2016年12月13日

書評ありがとうございます

書評「広報を始めた男」をご掲載くださいました。ありがとうございます。


2016年12月10日

アイビー・リー物語(3)

リーの広報エージェントとしての実績に注目した企業家の中に、同業他社の買収を重ねて米国内の石油販売市場をほぼ独占した、スタンダード石油の実質のオーナーだった、ジョン・D・ロックフェラーとその長男のジュニアがいました。

彼らは、石油事業で得た豊富な資金を、さまざまな分野に投資していました。その中には、コロラド州最大の石炭会社への出資が含まれます。ジョン・D・ロックフェラー(以下:シニア)は、1902年に600万ドルでコロラド燃料&鉄鋼(Colorado Fuel & Iron、以下: CFI)社の40%の株式と43%の債権を取得し、同社の筆頭株主となりました。

CFIは当時コロラド州最大の炭鉱会社で、炭鉱が24ヵ所あり、州内で最も多くの従業員を抱えていました。実は、シニアが筆頭株主になる前からCFIは赤字であり、その後も赤字経営が続いたため、シニアは経営陣の刷新をはじめ、労働組合活動への規制を強化しました。

しかし、厳しい労働条件に反発した労働者と労働組合によるストライキが長期化し、経営難に陥っていました。また、ストライキ中の1914年4月に発砲事件(ラドローの悲劇)が起き、労働者の家族が亡くなるという悲劇もあり、最大株主であるロックフェラー家は、米国中から非難を受けました。

事件発生以降、シニアはCFI社の筆頭株主として激しい批判や誹謗中傷にさらされたが、彼には自身の考えを説明し、反論しようとはしなかったのです。なぜなら、彼にはそのような行動をする意思(広報マインド)がなかったからでした。シニアには多くの助言が寄せられたが、それらの多くは広告宣伝に関するものばかりでした。

広告ばかり進められて途方にくれたジュニアから相談を受けた、ジャーナリストのアーサー・ブリスベン(Arthur Brisbane)が、彼にリーを広報顧問に雇うよう推薦しました。ブリスベンは、新聞記者としてリーと『ニューヨーク・サン』、『ニューヨーク・ワールド』両紙で同僚であり、リーを良く知る人物でした。

事件発生から1ヶ月が経過した19145月、ジュニアがリーに面談を申し込み、彼はリーに「父と私は、プレスや国民についてよく理解していない。どうすれば、私たちの立場を明確に伝えることができるだろうか」と助言を求めました

それに対して、リーは問題解決のために「遅かれ早かれ、嘘は暴かれる。真実を述べ、自らの見解を全部率直に公表すること」と助言したのです。ジュニアは、リーのこの助言を受け入れて、事故対応の広報スタッフとして彼を迎え入れることにした。ちなみに、シニアはリーの助言を聞いたとき、「私は、初めて率直な助言を聞いた」と感謝の言葉を述べたといわれています

リーは19146月から7ヵ月間にわたり、ペンシルヴァニア鉄道の運賃値上げキャンペーンに取り組みながら、多忙な時間の合間をぬってコロラド炭坑争議の広報業務に取り組むことになりました。

参考: 『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務

書評が掲載されました

日本パブリックリレーションズ協会の「協会ニュース2016年12月号」に、『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』の書評が掲載されました。

2016年12月8日

論文が公開されました

東京経済大学の『コミュニケーション科学(The Journal of Communication Studies)』第44号(11月9日発行)に掲載された論文『現代アメリカにおける広報エージェントの概念形成』が、東京経済大学学術機関リポジトリで公開されました。
これは、修士論文の一部を補筆改訂したものです。

2016年12月6日

広報PR温故知新「エンバーゴ」とは何か

企業の広報PR業務に携わっている方なら、「エンバーゴ」という用語を見たことがあると思います。外資系企業では、企業買収や合併など、大きな発表のプレスリリースに「エンバーゴ」が記載されている場合があります。

エンバーゴは元々海運業界の専門用語で、政府命令や戦争等非常事態により、貨物の種類、路線、期間などを限定して、出入港禁止措置を行なうことです。これが転じて、広報PRでは指定日時まで一定の間、情報公開(記事掲載)を禁止するという意味で用いられるようになり、企業とメディア間の紳士協定となりました。

日本では、昔は「報道解禁時刻」と表示していたようですが、今は企業の広報やPR会社から、「今日の発表内容は、xx日のx時までエンバーゴでお願いします」とか、プレスリリースに「xx日x時前の公開禁止」などと記されています。

「エンバーゴ」が、広報PRで使われ始めた時期は不明ですが、1930年代のアメリカでは既に一般的だったようです。たとえば、ロックフェラー家の広報エージェントだったアイビー・リーとニューヨークのメディアとの間では、大恐慌後の1930年に建設が始まったロックフェラー・センターに関する情報開示について、その「エンバーゴ」をめぐった対立がありました。

リーの伝記『Courtier to the Crowd』には、そのときの様子が次のように書かれています。
「新聞記者たちは、ニュースの「エンバーゴ」についてリーを批判した。記者たちが、ロックフェラー・センター建設に情報入手を試みても、リーはそのすべての依頼を断っていた。ロックフェラー・センターに関する噂はニューヨーク市中に広まっていたが、ある記者によれば、すべての交渉が終了するまで、リーは彼らが知りえた情報の記事掲載を認めず、さらにロックフェラー家からの正式コメントの提供も断っていた。」

ロックフェラー・センターは1930年に建設が始まり、すべての建設が修了したのは1939年。建設現場では、一日最大7万5千人もの労働者が働く、世紀の大プロジェクトでした。1929年に起きた大恐慌で職を失った人たちや建設業界をはじめ、アメリカ国内に復活の機会を提供したロックフェラー・センターの建設は、注目を集めていました。だから、メディアの取材合戦も相当なものだったことだろろうと思います。

リーは、メディアから激しい批判を浴びながらも、ロックフェラー家を守ることに専念し、ロックフェラー・センターの広報プロジェクトも彼の戦略どおりに行われました。建物を「ロックフェラー・センター」と命名することになったのは、ロックフェラーがリーの助言を受け入れたからだといわれています。

このように、リーはメディアからクライアントを守るバッファー役を果たしていました。広報エージェントがクライアントとメディア、及びクライアントとパブリックとの間に入るという役割は、20世紀初頭のアメリカにはなかった仕組みである。リーは現代では一般的となっている、広報エージェントによるコミュニケーション・スタイルの確立に貢献したと評価されています。

企業とメディア間の紳士協定は重要です。しかし、リークやオフレコが情報源となって、新製品情報もその発売前からネット上に公開されてしまう現代では、「エンバーゴ」とは何かを、改めて考える必要があると思います。以上、広報PR用語としての「エンバーゴ」の由来について書いてみました。


広報マーケティング Advent Calendar 2016に参加しています。


参考文献

  • Ray E. Hiebert, Courtier to The Crowd; The Story of Ivy Lee and the Development of Public Relations, (Iowa State University Press, 1966 未訳)
  • ロン・チャーナウ/井上廣美訳『タイタン ロックフェラー帝国を創った男(上)(下)』(日経BP社、2000)
  • 河西仁『アイビー・リー 世界初の広報・PR』(同友館、2016)
地図: Googleマップ「ロックフェラー・センター




2016年12月1日

出版記念セミナーを開催しました

都内で出版記念セミナーを開催しました。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

今回は、広報PRに携わるプロの方々が中心だったので、専門用語の説明などそれほど必要としないで、集中して話すことができました。

今後も、セミナーや研究会・勉強会を開催していきたいと考えています。