2016年12月6日

広報PR温故知新「エンバーゴ」とは何か

企業の広報PR業務に携わっている方なら、「エンバーゴ」という用語を見たことがあると思います。外資系企業では、企業買収や合併など、大きな発表のプレスリリースに「エンバーゴ」が記載されている場合があります。

エンバーゴは元々海運業界の専門用語で、政府命令や戦争等非常事態により、貨物の種類、路線、期間などを限定して、出入港禁止措置を行なうことです。これが転じて、広報PRでは指定日時まで一定の間、情報公開(記事掲載)を禁止するという意味で用いられるようになり、企業とメディア間の紳士協定となりました。

日本では、昔は「報道解禁時刻」と表示していたようですが、今は企業の広報やPR会社から、「今日の発表内容は、xx日のx時までエンバーゴでお願いします」とか、プレスリリースに「xx日x時前の公開禁止」などと記されています。

「エンバーゴ」が、広報PRで使われ始めた時期は不明ですが、1930年代のアメリカでは既に一般的だったようです。たとえば、ロックフェラー家の広報エージェントだったアイビー・リーとニューヨークのメディアとの間では、大恐慌後の1930年に建設が始まったロックフェラー・センターに関する情報開示について、その「エンバーゴ」をめぐった対立がありました。

リーの伝記『Courtier to the Crowd』には、そのときの様子が次のように書かれています。
「新聞記者たちは、ニュースの「エンバーゴ」についてリーを批判した。記者たちが、ロックフェラー・センター建設に情報入手を試みても、リーはそのすべての依頼を断っていた。ロックフェラー・センターに関する噂はニューヨーク市中に広まっていたが、ある記者によれば、すべての交渉が終了するまで、リーは彼らが知りえた情報の記事掲載を認めず、さらにロックフェラー家からの正式コメントの提供も断っていた。」

ロックフェラー・センターは1930年に建設が始まり、すべての建設が修了したのは1939年。建設現場では、一日最大7万5千人もの労働者が働く、世紀の大プロジェクトでした。1929年に起きた大恐慌で職を失った人たちや建設業界をはじめ、アメリカ国内に復活の機会を提供したロックフェラー・センターの建設は、注目を集めていました。だから、メディアの取材合戦も相当なものだったことだろろうと思います。

リーは、メディアから激しい批判を浴びながらも、ロックフェラー家を守ることに専念し、ロックフェラー・センターの広報プロジェクトも彼の戦略どおりに行われました。建物を「ロックフェラー・センター」と命名することになったのは、ロックフェラーがリーの助言を受け入れたからだといわれています。

このように、リーはメディアからクライアントを守るバッファー役を果たしていました。広報エージェントがクライアントとメディア、及びクライアントとパブリックとの間に入るという役割は、20世紀初頭のアメリカにはなかった仕組みである。リーは現代では一般的となっている、広報エージェントによるコミュニケーション・スタイルの確立に貢献したと評価されています。

企業とメディア間の紳士協定は重要です。しかし、リークやオフレコが情報源となって、新製品情報もその発売前からネット上に公開されてしまう現代では、「エンバーゴ」とは何かを、改めて考える必要があると思います。以上、広報PR用語としての「エンバーゴ」の由来について書いてみました。


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参考文献

  • Ray E. Hiebert, Courtier to The Crowd; The Story of Ivy Lee and the Development of Public Relations, (Iowa State University Press, 1966 未訳)
  • ロン・チャーナウ/井上廣美訳『タイタン ロックフェラー帝国を創った男(上)(下)』(日経BP社、2000)
  • 河西仁『アイビー・リー 世界初の広報・PR』(同友館、2016)
地図: Googleマップ「ロックフェラー・センター




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