「アイビー・リー」と検索すると、「2万5千ドルの助言」というキーワードが表示されます。
この「2万5千ドルの助言」とは、リーがアメリカの鉄鋼会社「ベツレヘム・スチール」の社長を務めていた、チャールズ・シュワブ(Charles Schwab)から、今日からすぐ実践できるアイディアを求められ、答えた内容です。
この金額は広報や企業経営に関する先行研究をはじめ、多くの専門書が引用しているので、正しい金額と思います。私の著書『アイビー・リー 世界初の広報PR・業務』でも、当時のリーがいかに高く評価されたかを示す事例として、この逸話と金額を記しました。
では、この助言はどのような状況のなかで生まれたのでしょうか。
第一次世界大戦中、アメリカ政府は戦時中の鉄資源の確保のために、鉄鋼会社の国有化に動きました。鉄鋼業界は政府の考えに強く反発し、ベツレヘム・スチール社をはじめ業界大手3社が、リーを雇い、国有化阻止のための国内キャンペーンを行ないました。
戦時中のアメリカでは、すべてが軍備優先となり、国内投資が冷え込んで、鉄鋼業界も厳しい経営状況だったのです。
キャンペーンを通してリーと親しくなったシュワブは、ベツレヘム・スチール社の経営や自身の業務改善のために、上記のような助言を求めたのです。リーは、多くの企業経営者との付き合いの中で、経営者こそ業務の優先順位付けと集中が、一番重要だと考えていました。
そこで、リーはシュワブに次のような助言を行ないました。
- 毎日、今日行なうことをすべて書き出す。
- それに最も重要なものから順番をつけ、その1番目から取り組む。
- すべて終わらなくても、良い。
- これを毎日繰り返す。
この助言をしばらく実践したシュワブは、その効果に驚き、リーに「あなたの助言はとても効果があった。だから、報酬をお支払したい。いくらですか」とたずねました。
これを聞いたリーは「金額はクライアントが決めるものです」と答えましたが、結局それぞれが思う金額を紙を書いて、見せ合いました。
リーの伝記『Courtier to the Crowd』(未訳)によれば、リーが記した金額は1万ドル、シュワブは2万ドルでした。それを見たシュワブは「間を取りましょう」と答えたそうですが、実際に支払われた正確な金額はわかりません。
第一次大戦終了後、シュワブはアメリカを代表する企業経営者として有名になりました。リーはベツレヘム・スチール社広報顧問をはじめ、シュワブ個人のアドバイザーも、長く務めました。
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