2016年10月11日

初期の広報エージェントは新聞記者出身者

9世紀以降、現代パブリック・リレーションズ(PR)は、主にアメリカの政治や経済・文化を舞台に発展しました。現代PRの発展を語る上で、広報エージェント(Public Relations Agentry)という、新しい職業の人たちの存在はとても大きかったと思います。

彼らの多くは元新聞社だったのでした。それは、当時の広報エージェントの仕事は、文章を書くことだったからです。今でも、企業や団体の広報担当者は、プレスリリースをはじめ、さまざまな文章(コピー)を書くことに、多くの時間を費やしています。

当時の連邦政府や政治家は、世論や一般大衆に政策や自身の考え方、選挙公約などをわかりやすく伝え、支持を得るために、彼らを雇って公式見解やパンフレット、校演習のまとめなど、文章を書いて配布することが、とても重要だったからです。

当時の広報エージェントは、自身の職業名をパブリシスト(Publicist)と読んでいました。パブリシティとは記事掲載を意味するもので、クライアントの情報を記事掲載させるため、パブリシストたちの力量が問われていました。

アイビー・リーも、大学卒業後、ニューヨークの新聞社で4年間、新聞記者として働きました。わずか4年でしたが、プロの書き手としての経験は、その後広報エージェントとして独立するうえで、大きな資産となりました。

(写真、30歳ころのリー、筆者撮影)


0 件のコメント:

コメントを投稿